the うら煮

哲学ゲーム

先日、幼なじみに十年ぶりに会った。それぞれの近況報告をしたり子供の写真を見せてもらったり、お互いこんな話をする年齢になっちゃったねぇと笑っていた。

昔話にも花が咲く中、彼女は突然「哲学ゲームって覚えてる?」と言い出した。

哲学ゲーム…?聞き覚えのないワードだったので「覚えていない」と返すと、「中学の時にやってた遊びなんだけど」と前置きをして、ルールを説明してくれた。

  1. テーマを決める。例えば「空」など。
  2. テーマに沿って哲学を語る
  3. 採点して点が高い方が勝ち

何なんだ、そのゲームは。ルールを聞いてもなお意味が分からない。全然面白くなさそうだし、まず哲学を語って競うなんて女子中学生のする遊びじゃないだろ。

全く身に覚えのないゲームの斜め上なルールを聞かされてぽかんとしていると、彼女がとんでもないことを言った。
なんとこのクソみたいなゲームの発案者は私なのだそうだ。

え、私?と思うと同時に、なぜそのようなゲームを発案したのか当時の経緯を一瞬で理解してしまった。

中学生のとき、私は初めてホームページを作った。作ったのは良いけど、メインコンテンツとなるものがなかった。
悩んだ末にポエムを書いた。最初は書くのに抵抗があったものの、徐々に勢い付いてテキストがセンタリングされている、いわゆる壺ポエムを大量に生み出した。そのうち私は自分のことをクリエイターだと錯覚し始めた。言うまでもなく、典型的な中二病だ。

一人でやっていれば苦笑いで済んだのに、承認欲求が強すぎて幼なじみに押し付けようとしたのだろう。その結果が「哲学ゲーム」に違いない。要は哲学を語り合いたいわけではなく、ポエミーなことが言えるクリエイティブな自分を知って欲しいだけなのだ「詩」ではなく敢えて「哲学」と表現しているのは、幼なじみの心理的ハードルを下げるためだろう。

全てを悟った私は狼狽し、絶句した。

中二病患者だった自覚はある。しかし、当時を思い出すと憤死しそうになるので、その痕跡、つまり設定ノートやポエムサイトは全て破棄して自分の記憶にも蓋をしていた。
そうやって抹殺したはずのものが、まさかこんな他人の記憶というどうしようもない場所に残っていたとは。

目を背け続けていた「元中二病」をいきなり突きつけられたショックで、十年以上閉ざしていた蓋はバリバリと剥がれ落ち、パンドラの箱よろしく恥や黒歴史が次から次へと飛び出してきては私の羞恥心をめった打ちにした。場所がおしゃれなカフェでなければ、絶叫しながら床を転がり続けたことだろう。

まずい、何とかしなくては。自分の記憶はもちろんだけど、幼なじみの記憶にも蓋をする必要がある。

私は彼女にくだらない遊びに付き合わせたこと、傲慢な振る舞いをしてしまったことを心の底から謝罪したうえで「できれば忘れて欲しい」と冗談っぽく、しかし切実なトーンで伝えた。

彼女は私の心中を知ってか知らずか「でも私はあの遊び、前衛的で好きだったよ!」と言ってくれた。
その言葉に少しだけホッとした。死にたくなる思い出ではあるけど、今こうやって彼女と私の笑い話になっているなら、別に一つくらいパンドラの箱から漏れ出たままでも良いのかもしれない。

そう思ったときだった。またもや幼なじみはとんでもないことを言い出した。

「あれねぇ、交換日記でやってたから、まだ誰か持ってると思う!」

えっ、哲学ゲームって口頭でやるゲームじゃなかったの…!?しかも複数人…!?!?

同級生の皆さん、当時ご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。お願いですから、交換日記を持っている方は至急処分し、二度と思い出さないようにしていただければ幸いです。

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