the うら煮

HPの成人式をして記事にするということ

2020年1月12日、三連休の中日。私は知人のK氏とK氏の後輩の3人で成人式会場で呆然としていた。
後輩はともかく、K氏と私は満33歳、20歳を名乗るにはおこがましい年齢(私とK氏に限って言えば)で、当然ながら今年の成人式に関係あるわけがない。招かれざる客どころか単なる不審者だ。なぜそんな不審者が成人式に来ているのか。

話は遡ること1週間前、K氏が突然こんなことを言い出した。

「成人式をやりたい」

何を言っているんだ。33歳から出てくる言葉じゃないし、もっと他に確定申告とか納税とかやるべきことはたくさんあるだろう。

K氏は、陰気で根暗で打ち合わせや交流会に行ってもヘラヘラと笑うしかできない、端的に言えばド陰キャなのだが、時々一人でこういう変なことを企画してはまるで自分が面白い人間になったかのように錯覚して喜ぶ癖がある。

恐らく今回のもそれだろう。面白くなる気がしないので関わりたくなかったのだが、詳細を聞いて欲しそうにチラチラとこちらを伺うので仕方なく尋ねた。

曰く、2020年はK氏がホームページを作って20周年なのだそうだ。そして、現在K氏はホームページを作って生計を立てている。

「今の自分があるのは20年前にホームページを作ったおかげ、だからホームページに感謝をしたい。20年と言えば人間で言えば成人だ。ホームページは成人した。だから成人式をしたい」

とK氏は早口で言った。

「それにこうやってちゃんとお祝いしたらホームページの神様の御加護で仕事が増えるかもしれない」

ホームページの神様は置いておいて、じゃあ成人式とは具体的に何をするのか聞いたところ、「成人式に行って記念写真を撮る!」という救いようのない回答しか返ってこなかった。

私はため息をついた。33歳のオバサンが成人式で記念撮影をしてそれを記事にして誰が面白いというのか。K氏以外、いやもしかしたらK氏自身も面白くない忌み子のような記事が完成するだけではないか。

それを聞いてK氏は「確かに」とウンウン頷いた。「絵面がもっと派手になる成人式をしよう」

私とK氏は成人式のやり方について調べることにした。まず地方の成人式について調べたが、全国どこを見ても「成人式をして同窓会に行く」のが普通のようだった。ならば海外はどうだ、と調べてみたところ

というものがヒットした。

海外で一人前として認められるハードルのなんと高いことか。日本に生まれたおかげで何の苦労もせず易易と成人し、こんなしょうもないことを年始からしている己を少し恥じた。

K氏は上記の成人式を見て「命に関わるからどれも無理だ」と言った。
「いや、毒蟻とライオンを調達するのはさすがに難しいけど、30mバンジーならできるんじゃない?」と私は関西のバンジー情報を検索した。これで何もヒットしなければ良かったのだが、何と30mジャストのバンジーを奈良県に見つけてしまった。

奈良の開運バンジー

私は奈良に行けと言った。バンジーするならまだ可能性がある。しかしK氏は頷かない。小型観覧車にすら乗れないほど高所恐怖症のK氏は、バンジーをするくらいなら毒蟻の手袋に手を突っ込んだ方が絶対にマシだと主張して譲らなかった。

結局、K氏は「成人式に行ってそれっぽくお祝いすれば良い、だってここは日本だから」と都合のいいことを言って切り上げた。何も解決していないが、とりあえず成人式の会場へ行くことが決まった。

ホームページの依代を作る

K氏は成人式の日までにホームページの依代を作ることにした。

作り方は簡単、まずはWayback Machine(ここに過去のWebサイトが保存されている)にアクセスをして初めて作ったホームページのURLを入力する。

リアル厨房時代のK氏はIMEの単語登録なるものを知らなかったので、URLが必要な時は毎回1文字ずつ打ち込んでいたのだそうだ。そのため昨日食べたものは思い出せないくせに、URLは20年経ってもスラスラと出てくる。

出てきたアーカイブを開いてスクショを撮って印刷して完成!といきたかったのだが、残念ながら閉鎖時のアーカイブしか残っていなかったようだ。(2000年11月のアーカイブが残っているはずなのに、2001年4月以降のアーカイブしか表示できない)

ところで中二病真っ只中の言動がインターネットに残っているというのは非常に恐ろしいと思う。これはK氏の初代ホームページ閉鎖時のスクリーンショットなのだが、

中身のない短文なのに私とK氏には会心の一撃を与えてくる。さすがのK氏もこのアーカイブを見た時は舌を噛み切りそうになったと言った。

「今日和」は、この当時K氏が長野まゆみにハマっていたからだと思われる。ちなみに「復活予定なし」と書いてあるが、もちろんキリストのような速度で復活してブーイングを受ける。

これを印刷してパネルにすると思想を主張してる人みたいになりそうなので、K氏は自身の記憶を元に一番最初に作ったホームページのデザインを復元することにした。それがこちら。

「Studio Blue Moonさんの素材を駆使していたはず」とK氏は言った。

「もっと痛々しいサイト(ビジュアル的な意味ではなくK氏のセンスが)だったと思うんだけど、さすがに中学二年生の感覚は思い出せなかった」

これを印刷して段ボールに貼り付けて依代の完成である。

依代のサイズをA2にするかA3にするかかなり迷った。
私は「デカイ方がインパクトがあるのでA2にするべきだ」と言ったのだが、K氏は「A2サイズの黒いパネルを持った奴が会場に侵入したら怪しまれる」と言って引かない。A2でもA3でも明らかに成人しきった人間がやって来た時点で怪しまれるだろうと思ったが、最後は全部K氏の決めることだ。結局A3になった。

なお、K氏はホームページの依代づくりに夢中で十日えびす(商売繁盛を祈るお祭り。関西の企業・個人事業主は大体みんな行く)のことをすっかり忘れていたらしい。仕事を増やしたいならホームページの成人式をするより十日えびすに行くべきだ。

成人式に行ってみた

K氏が設定した待ち合わせの時間は13時だった。式典は13時開始の途中入場厳禁なので、13時以降に会場に行けば新成人に会わなくて済むためである。おめでたい日にこんな禍々しいものを見せてはいけない。

駅で後輩も合流すると、K氏は「それじゃ、逝ってきます」と呟いた。加齢臭が漂った。

そして冒頭に戻る。私達は会場近くについて唖然とした。

会場が超厳戒態勢。

結構な人数の腕章をつけた人達が敷地内外でウロウロしている。これでは、「成人おめでとう」的な立て看板に近づく以前に敷地内に入ることすらできない。全く予想していなかった事態だが、よく考えればこんなご時世だ。どこに不審者がいてもおかしくないし、何なら不審者が実際にやって来てしまった。厳戒態勢で当然なのだ。

私はK氏に「納税してます!」と叫びながら突入しろと言った。ここで写真が撮れなければマジで中身のないクソ記事が完成する。しかし、K氏は渋った。

後輩は「どうしましょうかね…」と言いながら、近くのコンビニでたむろする晴れ着姿の女の子たちを見つけた。13時に間に合わず入れなかったのだろう。「あの子たちにパネルを持って代わりに撮ってもらうとか…?」
これは陽キャの発想だと思った。私も陰の者なので、道端で知らない人に話しかけるなんてことはまず浮かばない。私はK氏に「どうするんだ」と聞いた。

K氏は狼狽していた。しかし、新成人の子にお願いするのはK氏的には無しのようだ。K氏はド陰キャなので若い女の子に話しかける勇気がないし、何よりSNSに晒されるかもしれないと考えていたからだ。ちなみに新成人の子たちはみんな可愛らしく良い子そうだったので、これは完全なK氏の陰思想に基づく偏見と被害妄想である。寧ろ新成人に迷惑をかける大人は晒されてしかるべきだ。

なら警備を無視してズカズカと入っていくしかないのだが…。結局、K氏は断念した。「諦めて帰ろう」

こういう時に中に入っていける勇気や社交性がある人はきっと面白いものを作ることができる人なのだろう。そして、やはり分かってはいたがK氏はそちら側に行くことのできない人間なのだった。

余談だが、この日のお昼はUberEatsで吉野家を頼んだ。


K氏が頼んだのは「ねぎだく&玉子」。これでピンと来た方はいらっしゃるだろうか。そう、吉野家コピペ(※1)の「ねぎだくギョク」である。

K氏が「2000年と言えば吉野家コピペだ!」と言い出したのだ。しかし、記事を書くにあたって吉野家コピペの初出を調べたところ、2001年だった。

「2000年(※正しくは2001年)に吉野家コピペが流行って吉野家オフ(※2)が行われていたんだけど、私は田舎育ちだから近所に吉野家なんてものがなくて。吉野家のねぎたくを食べてみたいなぁとずっと憧れていた。結局今まで吉野家には行ったこともなかったから、やっと20年(※正しくは19年)越しに夢が叶う」

そう言ってK氏は憧れのねぎだくを口に入れた。そして「肉が少ない」という当たり前の感想を述べた。

(※1)吉野家コピペとは…2chで2001年に流行ったコピペ。畳み掛けるような文章が特徴的で、「通は大盛りねぎだくギョクを頼む」というフレーズがある。個人サイトの日記が元ネタ。

(※2)吉野家オフとは…2chで行われた大規模オフ会のこと。吉野家に行ってねぎだくのギョクを頼む。

家でお祝い

成人式で記念撮影もできなかったので、このふざけようとしてふざけきれなかった中途半端な企画も終わりだなと考えていると、「家で成人を祝う」とK氏はおもむろに冷蔵庫からケーキとビールを取り出した。

そして後ろのGoogleNestHubにスライドショーを流し始め、唐突にホームページ20年の思い出を語り始めた。

スライドの中身はK氏が今までに作ったサイトの一部を復元したものだった。私はK氏がどうして恥ずかしげもなく中二病を披露し続けるのか首を傾げそうになったが、とりあえずスライドの内容を紹介していきたい。

これは「ホームページ」が生まれる前のホームページらしい。なんじゃそりゃと思う人が大半だろう。

K氏曰く、これはGaiaXという簡単にホームページを作成できるサービスで作ったホームページだそうだ。しかし、K氏の入り浸っていたコミュニティではGaiaXで作ったホームページはホームページとは言えないと若干馬鹿にされる傾向があった(恐らく本当に誰でも簡単に1分でホームページを開設でき、当時の中高生はこぞってGaiaXを使っていたためだと思う)。

それで、プライドの高いK氏は馬鹿にされるのが嫌なので「ホームページ」を作ろうと誓った。

そしてこの「ホームページ」が生まれる。2000年夏のことだ。

この当時、ポストペットというメーラーが流行っていた。ペットがメールを運んでくれるというメーラーなのだが、ペットが家にいる時はおやつをあげたりお風呂に入れたりと世話をする必要がある。
そして、そのポストペットのおやつをオリジナルで作って配布するサイトが非常に多かった。

K氏はホームページを作るにあたり、メインコンテンツがないので流行りに便乗してオリジナルおやつを2つ3つ作って配布していた。どんなおやつを配布していたのか聞くと「風船」と返ってきた。

使っている素材はStudio Blue Moonさんという素材サイトのもので、当時はどこのサイトに行っても必ずStudio Blue Moonさんの素材を見かけた。だから、2000年代のWebサイトと聞いて真っ先に想像するのはこういうデザインのサイトではないだろうか。

これは2000年終わり頃のホームページだ。

先程も書いたようにStudio Blue Moonさんを始め、幻想的な素材サイトが多い時代だった。そのため、黒背景の幻想的なデザインのサイトが多かった。K氏はそんな中、同い年の管理人さんのサイトが真っ白でミニマルなデザインであることに度肝を抜かれた。黒背景が流行る中で白、しかもミニマルというスタンスは非常に大人っぽく見えた。K氏は即座に影響を受けた。

これは2001年始め頃。

この頃は「ゴスロリ」「眼帯」「流血」などが爆発的に流行っていた。恐らく椎名林檎や映画『バトル・ロワイアル』などの影響も大きかったと思う。
K氏は血を見るのは苦手だし、ゴシックもロリータも何の知識もなかったけど、流行っているのでゴスロリっぽいものをサイトに取り入れたり、『KERA(※1)』を買ってみたりしていた。

この頃からテーブルデザインが流行り始めたように思う。フォントサイズは10pxが正義だった。また、毒吐きネットマナー(※2)のバナーを見かけるようになったのもこの辺りだった気がする。

(※1)KERAとは…女性向けファッション雑誌。ゴスロリやロリータ、パンクなどのファッションが多く取り上げられていた

(※2)毒吐きネットマナー…ネットのマナーを書いたサイト。掲示板に書く時の注意点などが書かれている。賛否両論あるサイトだが、私は読んで色々反省するところがあった。

ここからは面白くない(ここまでが面白いのか甚だ疑問ではあるが)ので1つしか紹介しない。

K氏は2002年、高校1年生の時に初めて同人という概念を知り、更に夢小説というものに出会ってしまった。生粋の夢女子であるK氏はこれ以降夢小説のサイトばかりを作る。

夢小説のサイトのデザインは大体フォーマットが決まっていて、

こういう白背景かつ要素もあまり置かないシンプルのものが好まれていた、と思う。夢小説サイトは元データが残っていたので、元データから復元した。(タイトルなどはダミー)

さて、K氏はホームページの思い出をひとしきり話すと、突然「だから何なんだ?」と私に向かって言った。

ホームページの同級生に連絡をとろう

K氏の今の心情は私はよく分かっていた。この記事にはオチがないのだ。

しかし、締めに困るであろうことは「成人式をする」という漠然とした目的を掲げてしまった時点で分かりきっていたはずだ。その事実に目を逸らしつつ依代を作ってみたりケーキに20のロウソクを差したりして誤魔化してきたK氏だったが、ここまで来てやっと「本当にどうしようもない」ということを自覚した。

「だから何なんだ」

とK氏は絶望的な声をあげた。私はK氏に提案をした。ホームページを開設した当時の知り合いに連絡してはどうか。成人式と言えばその後は同窓会だ。
K氏がホームページを開設した同じ日、K氏のチャット仲間もサイトを開設した。そうだ、同級生と言えば彼だ、彼に連絡しろ、と詰め寄った。

K氏は渋々パソコンに向かい、その同級生(実際には年上の方である)を検索し始めた。数年前は簡単に見つけることができたのに、Googleのアルゴリズムが変わったせいで全く引っかからない。萎えそうになるK氏を鼓舞しつつ15分後、彼のブログを見つけることができた。しかし、彼の連絡先はどこにも書かれておらず、連絡できる手段はブログのコメント欄のみ。更新頻度は1年に1回あるかないかという、果たして彼本人も見ているのか見ていないのか分からないような状態だった。

私はK氏にそれでもいいから今すぐ連絡しろ、記事に載せてもいいか聞けと言った。しかし、K氏はまたしても渋った。何故なら、その彼の最終更新された記事は明らかに何かに悩んでいる様子だった。
K氏がこうやってふざけている間、彼は真面目に世の中のためになることを考えて生きているのが昔の記事から読み取れた。何か大きなことを1人でやり遂げようとして歯がゆい状況にいるのは私の目にも明らかだった。

K氏は連絡するべきか記事を書く直前まで迷っていた。K氏自身、日和って成人式の会場にも入ることができず、所詮自分は中途半端なことしかできない人間なのだと痛感していた。きっと成人式会場に突撃できる人は今も迷わず、彼を傷つけることのない気の利いたメッセージを送ることができるだろう。

そして、ここで連絡をしなければ本当に何のオチもなく、ただひたすらに中二病と自分の根性なしを晒す恥でしかない記事になる。

悩んだ末、私は結局彼に連絡をしなかった。しかし、この記事を投稿した後、記事に書くためではなく彼の近況を知るためにメッセージを送ってみようと思う。

2020年は必ずホームページの20周年祝いをしようと数年前から決めていた。しかし、結局今の私にはいろんな勇気が足りず中途半端な結果になってしまった。しかし、ホームページが生まれたのは7月のことなので、2020年の7月にこそ真・20周年バースデーをしてみたい。その頃には多少なりK氏の存在が薄れていることを祈る。

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